1867 – 2017

2017年に日本とデンマークの外交関係は150周年を迎えます。しかし実は、両国間の歴史は今から400年前の1616年まで遡ることができます。今日の日本とデンマークの関係を形づくった船乗り、貿易商、外交官、作家、そして皇族について、以下をぜひご覧ください。

Denmark and Japan

1616
Jan 03

デンマーク東インド会社設立

国王クリスチャン4世 の時代に 、デンマーク東インド会社が設立されました。東インド会社は特に日本の絹を求めて、貿易を開始することを目的の一つとしていました。

1619
May 03

デンマーク人による日本到達の初の試み

デンマーク東インド会社は、デンマーク系ノルウェー人の船乗りジェンス・ムンクを北西航路(北米大陸の北を通る航路)経由で日本に派遣しました。しかし船はカナダ・ハドソン湾の氷に足止めされ、先に進むことができなくなりました。ムンクは一命を取り留めたものの、デンマークに戻り、船を失った罪で投獄されてしまいました。

1644
Jan 03

デンマーク人による日本到達の二回目の試み

デンマーク東インド会社が、オランダ人貿易商ベレント・ペサートを日本へ派遣しようとしましたが、フィリピンで原住民によって殺されてしまいまいました。 画像提供:デンマーク海事博物館

1645
Jan 03

デンマークに関する日本最古の記録

日本で作成された世界地図にデンマークが初めて登場します。デンマークの国名は「タニア」と記載され、デンマーク人の絵まで載っていました。日本がデンマークを認識していたことを示す最古の記録です。

1674
Jan 03

クリスチャン5世の書簡は日本に届かず

デンマーク国王クリスチャン5世が日本宛に交易を求める書簡を送りましたが、当時日本との貿易を独占していたオランダに妨害され、日本には届きませんでした。

1676
Jan 03

デンマーク船、日本への入国を拒否される

デンマーク船が日本の将軍によって入国を拒否されました。当時日本との貿易を独占していたオランダが幕府にデンマーク船の入国を拒否するよう要請したようです。

1739
Jun 16

日本に到達した初のデンマーク人

日本を訪れたデンマーク人として、船乗りのマルティン・スパンバーグが初めて記録に登場します。スパンベーグはロシアのヴィトゥス・ベーリングによる極東探検に参加し、仙台港に到着しました。慎重なスパンベーグは実際には陸に上がらず、船上で日本の漁民と物品を交換しました。船員のために食べ物や服を運んできてくれた日本人について、スパンベーグは「非常に礼儀正しく気前が良い人々だった」と記しています。

1803
Aug 20

デンマークを訪れた初の日本人

4人の日本人船員を乗せたロシア船ナデズダ号がコペンハーゲンに上陸しました。この日本人船員たちは1792年に難破してシベリアに漂着し、ロシア人の助けを借りて日本へ戻ろうとしたものの、当時の鎖国政策によりそれがかなわず、ロシアのサンクトペテルブルクまで連れて行かれて、そこからデンマークのコペンハーゲンに上陸した後、難破から10年を経てついに日本への帰途に就くことができました。この4人の日本人船員が、デンマークを訪問したと記録に残る初の日本人です。 画像提供:コペンハーゲン博物館、撮影:Oluf W. Jørgensen.

1846
Jan 03

デンマーク人による初の対日交易交渉

デンマーク政府によってステーン・ビレ少将が世界周航中に日本へ到着しました。少将はもともと日本ではなく中国と貿易交渉を行う予定でしたが、航海中に日本へ進路を変更。しかし到着してみると、上陸はおろか浦賀港に着船することすら許されませんでした。日本人はビレ少将を短気な厄病神、少将は日本人を無礼で不遜であると評しています。残念ながら、この短い遭遇からは何も得られませんでした。 ビレ少将の旅行記はデンマーク人がデンマーク語で記した初の日本に関する記録です。彼の本は1849〜51年に出版され、のちのデンマーク人の日本観に大きく影響しました。

1867
Jan 12

修好通商航海条約の締結

オランダを介して長い交渉を続けた結果、徳川幕府とデンマークは「修好通商航海条約」に調印しました。1616年以来日本との交易を試みながら失敗続きだったデンマークにとって、日本との条約締結は積年の念願でした。1864年にシュレースヴィヒを失ったデンマークは、日本のような遠方の国と国交を結び、国際国家としてのイメージを回復しようと決意していました。江戸幕府にとって、条約締結は国家として国際的な正当性を獲得するための方法でした。この条約は1868年の明治維新前に幕府が批准した最後の対外条約となりました。

May 01

将軍に謁見した最初で最後のデンマーク人

エドワード・スエンソン(有名なデンマーク海軍中将エドワード スエンソンの息子)は日本の将軍に面会した最初にして唯一のデンマーク人です。フランス海軍に雇われていた彼は、フランス公使ロゼが大阪で徳川慶喜に謁見する際に陪席しました。スエンソンはまた、日本に長期滞在した初のデンマーク人でもあります。彼は当時の体験をのちに「日本のスケッチ」という本に記しています。デンマーク人による日本についての記述は1846年のビレ少将が最初ですが、スエンソンの記述はより長く、彼が観察した日本の日常生活が題材となっています。また、スエンソンはビレに比べ日本に対して好印象を抱いていたようです その後1900年に、スエンソンはデンマークのヴァルデマー王子と明治天皇の面会に陪席します。彼は将軍と天皇の両方に会った唯一のデンマーク人でもあります。

Jul 01

日本で初めてデンマーク国旗の掲揚

横浜と長崎のオランダ領事館がデンマークの代表も兼任することになり、日本で初めてデンマーク国旗が掲揚されました。

Jul 05

初のデンマーク人領事

当初、日本におけるデンマーク代表はオランダ人外交官が務めていましたが、1867年7月、デンマーク人のジョン・ヘンリー・ドゥスが初の駐日デンマーク領事に就任しました。彼は函館に駐在し、主に貿易交渉を行いました。それから1年半の間に、デンマークは横浜、長崎、大阪、神戸にも領事館を設立しました。

Dec 16

修好通商航海条約を批准

修好通商航海条約がデンマーク議会で可決・批准され、日本とデンマークの友好とパートナーシップは公式なものとなりました。

1869
Jan 03

浮世絵にデンマーク国旗が登場

歌川国輝の浮世絵に 築地でたなびくデンマーク国旗が登場します。この歴史的な作品は、日本のデンマーク大使公邸に飾られています。

1870
Jun 21

デンマークから日本への初の外交ミッション

デンマーク国王の名代ユリウス・ フレデリク・ シックが来日し、デンマーク企業大北電信会社によるロシアから日本までの電信ケーブル敷設を交渉しました。シックは正式な外交官ではありませんでしたが、彼の職務はデンマークから日本への初の外交ミッションと呼べるでしょう。

Sep 13

天皇に謁見した初のデンマーク人

ユリウス・ フレデリク・シックは明治天皇に謁見を許された初のデンマーク人となりました。謁見に先立ち、シックはデンマーク国王クリスチャン9世からの両国の友好な願う書簡を明治天皇に送り、謁見の際に明治天皇はこの書簡への返事をなさいました。日本の天皇が欧州の国王の書簡に返事をしたのはこれが初めてのことであり、シックは大いなる満足と誇りを覚えました。

1871
Jan 03

日本初の電信線をデンマーク企業が敷設

シックの尽力もあり、ウラジオストクから長崎まで電信線が敷かれたことにより、日本と大陸間の電信が開通しました。、デンマークの大北支那日本拡張電信会社が電信線の敷設を担当しました。 電信の成立により、日本は近代通信の時代に入ります。大北社はその後1912年まで日本における国際ケーブルの独占企業となりました。 画像提供:Bill Glover, www.atlantic-cable.com

1873
Apr 18

日本初の外交使節団がデンマークを訪問

1871年から1873年にかけて、日本初の近代外交使節団である岩倉使節団が欧米諸国に向けて派遣され、修好通商条約を結んだ各国を歴訪しました。使節団の目的は日本の近代化のために欧米の社会や技術について学ぶことでした。1873年4月、一行はデンマークを短期間訪問し、公共教育と海運を中心に学びました。 この時、かつて日本に初のデンマーク外交団を率いて来たユリウス・フレデリク ・シックが彼らを出迎えました。デンマーク滞在のハイライトとなったのは4月19日。岩倉使節団は国王クリスチャン9世とルイーゼ王妃に謁見し、その後両国の友好を祝う王室主催の晩餐会が開催されました。

1885
Jan 03

デンマークで日本の美術工芸が人気に

19世紀後半、ジャポニズムが欧州を席巻し、日本の美術工芸が高い人気を呼びました。欧州人は浮世絵の神秘と詩情に満ちた世界に夢中になりました。デンマークにジャポニズムを紹介したのは書籍「日本芸術」を書いた美術史家カール・マッセンです。この本はデンマーク人に伝統的な仏画や浮世絵、そして最も有名な日本人画家である葛飾北斎を紹介し、人気を得ました。

1886
Jan 03

日本美術に影響を受けたデンマーク人がロイヤルコペンハーゲンの陶器をデザイン

ジャポニズムやカール・マッセンの著書に影響を受け、アルノルド・クログは日本美術、特に北斎の有名な「富嶽三十六景」に着想を得た陶器のコレクションをデザインしました。クログはRoyal Porcelain Factory(現在のロイヤルコペンハーゲン)のデザイナーで、日本に影響を受けた彼のデザインは、デンマーク国内および海外での同ブランドの人気を高めました。 画像提供:ロイヤルコペンハーゲン

Jan 03

両国間初の皇室外交 — 日本の皇族による初のデンマーク訪問

日本の皇族、伏見宮博恭王が欧州旅行中にデンマークをご訪問。これが両国間で初めての皇室外交となりました。

1887
Jan 03

デンマーク人が日本海軍の近代化に貢献

ビジネスマンでもあったデンマーク海軍のバルタザー・ミュンターが英国の兵器製造会社アームストロングで働くために来日。その後11年間に渡って日本艦隊の最新技術装備に関わり、日本海軍の近代化に重要な役割を果たしました。

Apr 29

日本の皇族がデンマークに滞在

小松宮彰仁親王と頼子親王妃が各国歴訪の際にデンマークをご訪問。国王クリスチャン9世、ルイーゼ王妃と面会されました。その際、彰仁親王はダンネブロ勲章1等級、クリスチャン9世は大勲位菊花章を授与されました。

1888
Jan 03

日本初のアンデルセン童話の翻訳本

H. C.アンデルセンの童話が彼の死後13年を経て初めて日本語に翻訳され、他の作品とともに雑誌『女学雑誌』に掲載されました。訳者の名前は知られていませんが、最初に翻訳されたのは「裸の王様」でした。ただし、日本の読者にわかりやすいよう、翻訳の段階でかなりの改変が加えられ、タイトルも「不思議の新しき衣装」とされました。

1891
Jan 03

デンマーク初の日本文学の翻訳

作家ジョハン ・グロベが「桃太郎」をデンマーク語に翻訳し、デンマーク人に初めて日本の民話や文学を紹介しました。ただし、デンマークの読者にも面白くわかりやすい話になるよう、グロベ版の桃太郎には多くの改変が加えられています。 画像提供:Gads Forlag

1898
Jan 03

デンマーク人牧師の初来日

デンマークの牧師ジェンス・ヴィンターが来日。彼は当初中国に行く予定でしたが、結局足掛け66年を日本で過ごし、日本の牧師の教育や伝道活動を行いました。 1958年、ヴィンターは外国人に与えられる最高位の勲章である旭日章を授与されました。彼はまたダンネブロ勲章も受け、両方の勲章を着けた姿が写真に残っています。 画像提供:Dansk Luthersk Mission

1900
Jan 03

デンマークで日本文化への関心が高まる

バルタザー ミュンターの妻ジョハンネ・ミュンターが日本について初の著書を出版。彼女はその後も1901年、1902年、1905年に3冊の本を出版しました。彼女の本は、1895年から1896年にかけて夫とともに日本で暮らした経験がもとになっています。最初の2冊は日本文化の紹介、3冊目は有名なラフカディオ・ハーンの作品のいくつかを翻訳したもの、そして1905年に刊行された4冊目は、彼女の日本での生活と旅行について書いたものです。ジョハンネ・ミュンターは初めて日本と日本文化についてデンマーク人に伝えたデンマーク人女性作家です。 画像提供:Gyldendal

Feb 24

デンマーク王族初の来日

ヴァルデマー王子がデンマークの王族として初めて来日。横浜に到着しました。王子は明治天皇と面会。また13年前にデンマークを訪問した小松宮彰仁親王と再会を果たしました。王子は国賓として日本に1ヶ月滞在し、箱根や日光などを観光しました。

1902
Jan 03

アンデルセン作品の日本語訳が人気に

森鴎外はドイツ勤務時代にH. C.アンデルセンの「即興詩人」を読んで強い感銘を受け、日本語訳を決めました。それまでのアンデルセン翻訳や、当時の翻訳文学と違い、鴎外は日本の読者にも面白く読めるよう物語の西洋的な論法や心象を「日本化」しました。この方法は功を奏し、同書は当時の多くの偉大な作家に影響を与えました。

1905
Jan 03

日本の技術的進歩にデンマークの関心が高まる

日本文化は長年デンマークで高く評価されてきましたが、1870年代以降に日本の技術が進歩し、特に日露戦争で日本が勝利すると、貿易や商業面でも日本はデンマークの関心を集めるようになりました。

1911
Jan 03

デンマークの哲学に日本人が感銘

著述家の内村鑑三はデンマークという国について、また1864年にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を失ったデンマークがどのように精神的な回復を遂げたかについて講演を行いました。彼はデンマークを平和の国と称え、「われらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし」と言ったエンリコ・ダルガスを賞賛しました。内村や、松前重義(東海大学の創立者)、小原國芳(玉川学園の創立者)といった当時の教育界の先駆者たちは、ダルガスの言葉や、征服ではなく内面から国を再興しようとするデンマーク人の精神に感銘を受けました。内村鑑三の講演により、ダルガスは日本で有名になりました。しかし最近になり、この言葉は実はダルガスのものではなく、デンマークの詩人H.P. ホルストの言葉だったことが判明しました。

1912
Jan 03

新たな通商航海条約の批准

1912年、日本とデンマークは不平等条約であった1867年の修好通商航海条約を破棄し、新たな通商航海条約を批准しました。これは日本が関税自主権を回復した重要な条約です。またデンマークの治外法権も終了し、デンマーク人も日本人も互いの法律で裁くことができるようになりました。この他にも日本と諸外国は次々に新条約を批准し、日本は国際的な地位を強めていきました。

1913
Jan 03

日本人初のダンネブロ勲章受章

野口英世が皇族以外の日本人として初めてダンネブロ勲章を授与されました。野口は細菌学者として黄熱病や梅毒の研究に成果をあげました。野口は1903年にコペンハーゲンの国立血清研究所に勤務しました。日本にも野口の研究と功績について知らない人はいるかもしれませんが、彼の顔は誰もが知っているでしょう。彼の顔は 1,000円紙幣に印刷されています。

1921
Mar 01

日本にデンマーク大使館開設

東京・四谷に初めてのデンマーク大使館が開設されました。デンマーク大使館はその後日比谷、青山に移転し、1979年に今日の代官山・猿楽町に引っ越しました。  

1924
Feb 18

日本最初のマースク船

アスファルトを積んだ貨物船レイセ・マースクが横浜に寄港。この4年後、偶然にも同じ船によってアメリカから横浜、神戸、門司を通るマースク・ラインの航路が開通しました。マースク・ラインは1928年から日本での営業を開始しました。 画像提供:マースク株式会社

1926
Mar 21

デンマーク人が初めてヨーロッッパと日本の往復飛行に成功

アナス・ペター・ボトヴェの操縦する飛行機がコペンハーゲンから東京に向けて飛び立ちました。これまでもアジアへ飛行したパイロットは何人かいましたが、復路も飛んだのはボトヴェが初めてです。ボトヴェはそれが可能だということを証明し、デンマークの航空技術を世に示したいと考えていました。往路は中東と中国を経由して幾度かの足止めを経ながら7月1日に東京に到着しました。復路はこれよりずっと早く、約20日で帰国することができました。国王クリスチャン10世は彼の功績を称え王国褒章を授与しました。 画像提供:Gyldendal、長島要一

1930
Mar 03

日本デンマーク協会設立

日本デンマーク協会は両国の人々の友好関係の促進を目的に発足し、今日も活動を続けています。協会は日本を拠点とし、現在は常陸宮正仁親王が総裁を務めています。日本デンマーク協会は外交関係150周年事業の共催者です。 画像提供:日本デンマーク協会.

1931
Sep 08

デンマークの体操が日本で人気に

世界的に有名なデンマークの体操選手ニールス・ ブックが来日し、デンマークの体操を披露。ブックは内村鑑三のデンマーク観やデンマークの哲学者N. F. S. グルントヴィの思想に強い影響を受けた教育学者、小原國芳の招待で来日しました。小原は国民の健康向上を目指して学校教育に競争のない体育を取り入れたいと考え、ブックがロールモデルになり得るのではないかと期待しました。日本ツアーの途中、ブックと彼のチームは日本の首相官邸でも演技を披露しました。日本では1928年にNHKのラジオ体操が始まり、体操人気が高まっていました。 画像提供:Gymnastik Galleriet

1934
Jan 19

デンマークのフォルケホイスコーレ制度への関心

松前重義がデンマークを訪問し、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)を視察。松前は内村鑑三やグルントヴィに強い影響を受け、フォルケホイスコーレで実践されている精神的な公共教育について学びたいと考えていました。デンマークでの経験をもとに、松前は1942年に東海大学を創設。東海大学は松前がデンマークで学んだ「学生や国全体の思想の育成」を目指して設立されました。 画像提供:東海大学

1937
Apr 03

ニールス ボーアが日本で研究活動

デンマーク人ノーベル物理学賞受賞者ニールス・ボーアが来日し、物理学者仲間で親しい友人でもある仁科芳雄のサイクロトロン(核粒子加速装置)開発に協力。仁科自身はノーベル賞を受賞しませんでしたが、彼の教え子である湯川秀樹は日本人初の受賞者となりました。 画像提供:Emilio Segre Visual Archives

1947
Dec 01

マースク・ラインが日本支社を開設

マースク・ラインは1928年に日本で開業して以来、三菱倉庫株式会社を代理店としていましたが、日本でのビジネスを拡大するため、1947年12月1日に日本支社を開設しました。写真は1950年代にヘルタ・マースク号で日本からタイに電車を輸送する準備の様子です。 画像提供:マースク株式会社

1950
Jan 03

日本に対するデンマークの商業的関心が高まり、デンマーク商工会議所が結成される

戦後の経済復興を続ける日本にデンマークは改めて商業的関心を寄せ始めました。1950年代終盤、日本に拠点をもつ少数の北欧企業は定期的な会合を開くようになりました。彼らは日本での事業機会についての経験や情報を交換し、日本市場に参入しようとする企業へのアドバイザリー活動を行いました。さらに関心が拡大した1960年半ばには国ごとに分かれ、Danish Businessman Clubが結成されました。Danish Businessman Club は1990年に名称をデンマーク商工会議所に変更し、現在もデンマーク企業の日本での活動を支援しています。 デンマーク商工会議所も今回の150周年事業の共催者となっています。 画像提供:デンマーク商工会議所

1956
Jan 03

デンマーク人宣教師の活動

デンマーク人宣教師ハリー・トムセンが来日し、静岡県に慈善活動や布教活動を行うクリスチャン・センターを創設。のちに教会の建設を支援しました。同センターは様々な社会活動に関わりましたが、特に社会的に弱い立場にある若者の支援活動で大きな貢献を成しました。 画像提供:DanMission

Jan 03

両国間のビザ免除協定

日本とデンマークがビザ免除協定を結び、両国間を旅行できる人の数が急増しました。

1957
Feb 10

デンマーク船機関長が日本の船員を救助しようと海へ飛び込み命を落とす

エレン・マースク号の機関長だったヨハネス・クヌセンは名古屋から神戸へ航海中、和歌山沖で火災を起こしている日本の「高砂丸」を発見しました。クヌセンは転落した「高砂丸」の乗組員を救助するために海に飛び込みましたが、不幸なことに2人とも溺れて亡くなりました。クヌセンの犠牲的な行動は地元で称えられ、地元民は1958年に供養塔を建てました。彼の勇気と行動は今日まで人々の記憶に残っています。 和歌山県でヨハンネス・クヌセンを慰霊するフレディ・スヴェイネ駐日デンマーク大使 画像提供:和歌山県

Feb 24

デンマークと日本を結ぶ初の直航便

SAS(スカンジナビア航空)のコペンハーゲン — 東京(成田)路線を開設。欧州と日本を結ぶ初の直行便となりました。この路線はアラスカ上空を飛ぶことでスカンジナビア-日本間の飛行時間を50時間から32時間へと短縮しました。初飛行には三笠宮崇仁親王と、デンマークのH.C. ハンセン首相が搭乗しました。 画像提供:SAS

1958
Jan 03

デンマーク・日本協会設立

デンマーク・日本協会はデンマークで日本についての知識を広め、両国間の文化的つながりを強化することを目的に設立されました。協会は毎年いくつものイベントを主催しています。デンマーク・日本協会はデンマークに本拠を置き、エリザベト王女を後援者としています。

Apr 01

デンマークに日本大使館開設

コペンハーゲンに日本大使館が開設されました。それまではスウェーデンの日本大使館が代理で業務を行っていました。

Aug 26

島崎信氏が日本にデンマークデザインを紹介

島崎信がデンマークへ留学し、王立芸術アカデミーのオレ・ワンシャー教授のもとで家具デザインを学びました。彼は1958年までデンマークに滞在し、アルネ・ヤコブセン、ボーエ・モーエンセン、ポール・ケアホルムといったデンマークの偉大な家具デザイナーたちと交流しました。日本では現在もデンマークの家具デザインが人気ですが、これを最初に日本に紹介したのが島崎氏です。彼は84歳になった現在も活躍中で、両国のデザイン界の良好な関係に貢献しています。 写真は1958年当時の島崎のビザ

1961
Mar 03

デンマーク企業ダンフォスが日本に参入

デンマークのエネルギー企業ダンフォスが日本のOTPと合弁事業を立ち上げ、東京都小平市に工場を建設しました。現在、ダンフォスは日本では合弁会社ダイキン・ザウアーダンフォスとして営業しています。ダイキン・ザウアーダンフォスは日本国内で300人近くを雇用しています。 画像提供:ダンフォス

1962
Jan 03

高木俊介氏が日本にデニッシュペストリーを紹介

日本のパン職人である高木俊介氏が1959年にデンマークを訪れました。彼はそこで出会ったデニッシュペストリー(デンマーク人は「ウィーンのパン」と呼びます)に感激し、1962年に日本にデニッシュを紹介しました。 彼は1967年にベーカリー「アンデルセン」を開店。本物のパンとケーキの販売を開始し、以来今日まで日本のみならずデンマーク本国にも店舗をオープンし、事業を拡大しています。 写真は広島のアンデルセン1号店。アンデルセングループ提供。

1963
Mar 01

コペンハーゲンでトヨタの欧州初号車を展示 

コペンハーゲンのBella Centerで毎年開催される自動車展示会で、欧州に初めて輸入されたトヨタ車「クラウン・デラックス」が展示されています。SAS(スカンジナビア航空)が東京-コペンハーゲンを結ぶ初の欧州直航便を開設したことが足掛りとなり、日本車は欧州進出の第一歩をデンマークで踏み出しました。   写真: デンマーク エアラ・インポート社のショー展示 © トヨタ自動車株式会社  

1966
Apr 01

日本の大学初のデンマーク語専攻

大阪外国語大学(現在は大阪大学)が日本の大学で初めてデンマーク語専攻を設置。同学科は2016年に50周年を迎えました。

1967
Aug 28

ロイヤルコペンハーゲンが日本で開業

ロイヤルコペンハーゲンが初めての日本事務所と店舗を開設。現在もデンマークの陶器を販売しています。 画像提供:ロイヤルコペンハーゲン

1970
7月 03

日本初の人魚姫の像

彫刻家エドワード・エリクセンの世界的に有名な人魚姫の像の複製が、日本で初めて大分県の水族館に設置されました。現在、日本には少なくとも12体の人魚姫の像があり、九州から北海道まで各地で見ることができます。 画像提供:エドワード ・エリクセン相続人 www.mermaidsculpture.dk

1971
1月 03

デンマークの大学初の日本語専攻

コペンハーゲン大学がデンマークで初めて日本語専攻を設置。学生はそれ以前にも1968年から日本語を履修することができましたが、1971年から正式に学位の対象となりました。 現在デンマークではコペンハーゲン大学とオーフス大学で日本語を学ぶことができます。

1977
3月 12

デンマーク企業ベルックスが日本法人を立ち上げ

デンマーク企業ベルックスは1976年から天窓を通して日本に光を届けています。1977年3月12日、日本ベルックス株式会社が設立され、現在も営業を続けています。 画像提供:ベルックス

1979
1月 03

デンマーク大使館が現在の代官山に移転

大使館の建物は日本の著名建築家、槇文彦氏が設計したものです。槇文彦は西洋と東洋デザインを融合し、1993年にプリツカー賞を受賞しました。

1980
1月 03

デンマークのテレビで「将軍」放映

テレビドラマ「将軍」がデンマークで放映され、大人気を博しました。多くのデンマーク人にとって、これが日本の文化や歴史との初めての出会いとなりました。

1981
1月 03

デンマークと日本の関係に学術的な関心

コペンハーゲン大学特任研究教授の長島要一氏は、デンマークと日本の関係や歴史について研究する両国でも数少ない学者の一人です。長島氏はこの時期に同大学に採用され、本の出版や寄稿を始めました。このタイムラインの多くは長島氏の研究をもとに作成されています。

4月 03

デンマーク女王初来

マルグレーテ2世陛下がデンマークの女王、また国家元首として初めて日本を訪問されました。

1986
1月 03

サントリーがカールスバーグビールの醸造を開始

日本の酒造メーカー、が、デンマークのカールスバーグビールの生産と販売を開始。 画像提供:サントリー

1988
1月 03

デンマークに日本の寄宿学校が開校

松前重義がプレストに東海大学付属デンマーク校(小・中・高等学校)を開設。当時、欧州に住む多くの日本人駐在員が、子供に日本の教育を受けさせられる学校を求めていました。同校は2008年に閉校しました。 画像提供:東海大学

1月 03

日本の財団がマルグレーテ2世女王に50本の桜の木を進呈

マルグレーテ2世女王の結婚25周年と両国の友好を記念し、日本のSakura Foundationが女王とオーフス市に50本の桜の木を進呈しました。桜は1992年に女王が夏を過ごすオーフスのマルセリスボー宮殿に植樹され、毎年春に地元の人々の目を楽しませています。

1989
1月 03

日本とデンマークの初の姉妹都市

オーデンセ市と船橋市が両国間初の姉妹都市となりました。両都市の友好は今日も続いており、2014年には船橋市で行われた姉妹都市25周年式典にデンマークの代表団が出席しました。2000年にはグラズサックセ市と台東区が、その後もコリング市と安城市、ファボー市と登別市、ロラン市と東松島市が姉妹都市となりました。

1990
1月 03

日本でデンマークの福祉制度への関心が高まる

デンマークは福祉制度や福祉ソリューションで知られており、日本からも様々な視察団が訪れます。視察団はデンマークの高齢者施設の日常生活から幼稚園教育まで、現場を見て学びます。 画像提供:Vallensbæk Kommune

1月 03

デンマークのパン職人の名にちなんだパン店が日本にオープン

日本人パン職人和田哲也氏がデンマークへの留学を経て、コペンハーゲンのパン職人のギルドであるKøbenhavns Bagerlaugの会員書を授与されました。彼は日本に帰国し、恩師であるストックホルム・ジェンセン氏の名を付したベーカリーを開店しました。彼の店「イエンセン」は現在も東京でデンマークの「ヒュッゲ(暖かい雰囲気)」を味わえる美味しデニッシュ・ペストリーやパンを売っています。

11月 11

マルグレーテ2世女王が天皇の即位の例にご参列

デンマークのマルグレーテ2世女王陛下とヘンリク王配殿下が、今上天皇陛下の即位の礼に参列されました。

1996
9月 11

日本の皇族が初めてグリーンランドをご訪問

高円宮ご夫妻が日本の皇族として初めてグリーンランドをご訪問。ウマナックからカコトックまでを旅行し、グリーンランドの伝統的な生活様式と現在の姿の両方を体験されました。高円宮殿下はグリーンランドの勲章を受けられ、ご夫妻には多くのトゥピラック(トーテムとも呼ばれるグリーンランド伝統の工芸品。鯨の骨や石で作られる人形で、無病息災を祈るもの)が贈られました。妃殿下はのちにデンマーク大使館の展示会のためにトゥピラックを貸与してくださいました。

10月 25

H. C.アンデルセンのテーマパークが日本にオープン

ふなばしアンデルセン公園が開園。この公園はハンス・クリスチャン・アンデルセンのテーマパークと遊び場からなり、アンデルセンの時代のデンマークの家のレプリカが設置されています。この公園の開設は船橋市と姉妹都市であるオーデンセがアンデルセンの故郷であることに由来しています。2016年に20周年を迎えるアンデルセン公園は非常に人気が高く、世界最大級の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「日本の人気テーマパーク」で3位にランクインしました。

1997
7月 18

日本にチボリ公園開園

倉敷チボリ公園が開業。この公園はコペンハーゲンのチボリ公園をほぼそのまま模して作られましたが、人魚姫の像の複製や、ローゼンボー城にちなんだ城なども設置されました。同園は2008年に閉園しました。

1998
1月 02

日本の漫画がデンマークで出版される

大友克洋の傑作漫画「AKIRA」が日本の漫画として初めてデンマークで出版されました。そして、2000年に出版された鳥山明のドラゴンボール以降、日本漫画の人気は急速に高まっていきます。ドラゴンボールは大ブームとなり、2003年からはテレビアニメも放映されました。 画像提供:Forlaget Carlsen

5月 31

日本の天皇が初めてデンマークをご訪問

天皇皇后両陛下が、日本の天皇として初めてデンマークを訪問されました。

1999
1月 03

デンマークでポケモン旋風

世界中の国々と同様、デンマークの子どもたちもポケモンに夢中になりました。この世代の子どもにとってポケモンは日本文化への入り口となり、11年後、デンマークの大学で日本語の履修を希望する学生が急増しました。

2001
1月 03

村上春樹の作品がデンマークで人気に

村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』がデンマーク語で出版されました。これまでもデンマーク語訳の村上作品は出版されていましたが、日本語から直接訳されたものは初めてでした。翻訳家のメッテ・ホルム氏はその後も多くの村上作品を翻訳し、身近になった村上小説は大変な人気を得ています。

2003
1月 03

桜の寄贈とコペンハーゲン桜祭り

広島デンマーク領事館の名誉領事を務めるアンデルセン・パン生活文化研究所取締役社主の高木誠一氏(アンデルセン創業者の高木俊介氏の長男)が、H. C.アンデルセン生誕200年を記念し、コペンハーゲン市に200本の桜の木を寄贈しました。贈られた桜はランゲリニエ地区に植樹され、2007年に初めて花を咲かせました。以来、桜の花はコペンハーゲン桜祭りの呼びものとなっています。

10月 10

日本のアニメがデンマークでブレイク

スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」がデンマークで公開されました。観客動員数はわずか5万 5,000人でしたが、デンマークで公開された日本のアニメとして画期的な興行成績を収めました。

2004
5月 14

デンマーク皇太子の結婚式に日本の皇太子がご参列

デンマークのフレデリック皇太子とメアリー皇太子妃の結婚式に、日本の皇太子が参席されました。

2008
1月 03

デンマークの漫画ブーム

デンマークの大手出版社Forlaget Carlsenの漫画部門が、20タイトル以上の日本の漫画をデンマーク語で出版。 画像提供:Forlaget Carlsen

2009
9月 01

デンマークの幸福度とライフスタイルに日本人の関心が集まる

デンマークは「世界一幸福な国」として賞賛されています。これに関して千葉忠夫の著書「世界一幸福な国デンマークの暮らし方」が出版されました。千葉氏は数十年に渡ってデンマークに在住し、ノーフュンス・ホイスコーレ(国民高等学校)を設立しました。千葉氏は同書の中でデンマークの生活が喜びに満ち、デンマーク人が幸福を感じている理由を、自身の視点で日本の読者に紹介しています。 画像提供:千葉忠夫

9月 08

日本語を専門とするフォルケホイスコーレがデンマークに開校

閉鎖された東海大学デンマーク校(プレスト市)の建物を使い、望星ホイスコーレが開校されました。建物は、デンマークの国民高等学校の伝統に敬意と称賛を示した東海大学の創設者、松前重義の名誉のもとに寄付されました。望星ホイスコーレは日本語教育を専門とし、空手と柔道も教えています。

2010
1月 03

日本語を学ぶデンマーク人学生が急増

デンマークのポケモン世代が大学生となり、デンマークの大学での日本語履修申請が急増しました。コペンハーゲン大学では定員25名のクラスに150人の生徒が応募しました。

2011
6月 13

フレデリック皇太子が被災地を訪問

デンマークのフレデリック皇太子が外国の王族として初めて東日本大震災の被災地を訪問されました。皇太子は東松島地区を慰問。住民は感謝の気持ちを込めて復興田で収穫された2015年の新米をデンマーク王室に届けました。

10月 26

マルグレーテ2世女王のアートワークを日本で展示

デンマーク大使館のある代官山で、白鳥の王子をテーマとした展覧会が開催されました。この展覧会ではデンマークのマルグレーテ2世女王によるデコパージュやコスチュームなどのアートワークも展示されました。

2012
1月 30

フィン・ユール邸を日本に再現

デンマーク人デザイナー、フィン・ユールの生誕100年を記念し、彼の自宅を再現した「フィン・ユール邸」が岐阜県高山市に開設されました。建設の中心となったのは日本の家具メーカー、キタニ。キタニは以前から家具修理でデンマークデザイナーの作品を扱っており、そこで習得した職人技をもとに、今日ではデンマークのデザイン家具の部品を受注し、組立工場のある本国へ出荷するようになりました。キタニはフィン・ユールがデザインした家具も手がけています。 画像提供:キタニ

7月 21

フライングタイガー コペンハーゲンが日本にオープン

フライングタイガー コペンハーゲンの日本1号店が大阪にオープンし、店外には入店を待つ人の行列ができました。フライングタイガーは現在日本に25店舗を展開しています。 画像提供:フライングタイガー コペンハーゲン

2013
5月 17

日本が北極評議会のオブザーバーに

北極評議会は北極圏における野生生物の保護と持続可能な開発を目的としています。北極圏に日本の領土はありませんが、デンマークを含む加盟国は、日本が北極圏に多くの利害を持つとの見方に同意しました。

12月 20

ソストレーネ グレーネが日本にオープン

デンマークの雑貨店ソストレーネ グレーネ(Søstrene Grene)の日本1号店がオープン。欧州以外の国での初めての出店となりました。2016年11月には、日本の2号店がオープンしました。

2014
3月 04

日本とデンマークの戦略的パートナーシップ

デンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相が来日し、日本の安倍晋三首相と会談。両国は戦略的パートナーシップを立ち上げ、食品、持続可能エネルギー、グリーンテクノロジー、ヘルス&ウェルフェア・テクノロジーなど多分野で協力することに合意しました。

4月 06

日本とデンマークの初の姉妹都市が25周年を迎える

オーデンセ市と船橋市が姉妹都市となってから25周年を迎え、船橋市では常陸宮ご夫妻ご臨席のもと記念式典が行われました。

9月 27

ヴェスタスと三菱重工の合弁会社

三菱重工業とデンマークのヴェスタスが洋上風力発電設備合弁会社(本社オーフス)を設立しました。 画像提供:MHIヴェスタス

2015
1月 03

大阪大学デンマーク語専攻50周年

大阪大学(前・大阪外語大学)のデンマーク語専攻が創設50周年を迎えました。

3月 26

日本でグリーンランドへの関心が高まる

日本でグリーンランドや北極圏への関心が高まり、デンマーク皇太子ご夫妻、高円宮妃、グリーンランド自治政府 キム・キールセン首相ご列席のもと、東京でグリーンランド展が開催されました。キールセン首相はグリーンランド首相として初めて日本を訪れ、グリーンランドの文化や製品を紹介したほか、グリーンランドへの投資機会について日本企業に説明を行いました。 写真は、国立民族学博物館(大阪)で開催されたグリーンランド展に来場された高円宮妃殿下を案内するグリーンランド自治政府のニック・ニールセン文化教育平等担当大臣。  

9月 18

日本とデンマークの研究パートナーシップ

日本の国立極地研究所(NIPR)と、グリーンランド天然資源研究所(GINR)が北極圏の環境と持続可能性に関する研究パートナーシップを立ち上げました。 画像提供:国立極地研究所

2016
1月 03

ラスムス クルンプ が日本に登場

千葉にラスムス クルンプ カフェがオープン。ラスムス クルンプは、デンマークのカーラ&ヴィルヘルム・ハンセン夫妻が1951年に生み出した絵本の人気キャラクターです。デンマークの子どもは誰でも、冒険とパンケーキが大好きなラスムスを知っています。千葉のカフェではもちろんパンケーキが食べられます。 画像提供:ラスムス クルンプ カフェ(千葉)

4月 02

隈研吾氏が新しいアンデルセン博物館を設計

H.C.アンデルセンの故郷オーデンセで、日本の建築家、隈研吾氏がアンデルセン博物館コンペティション最優秀賞を受賞しました。隅氏の設計による新しい博物館は2018年着工、2020年開業を予定しています。

10月 30

村上春樹氏がアンデルセン文学賞を受賞

世界的に有名な作家、村上春樹がアンデルセン文学賞を受賞。村上小説はアンデルセン作品と同様の不思議なイメージに溢れています。公開の場に登場することの少ない村上氏ですが、オーデンセで行われた授賞式に出席しました。

2017
4月 01

名古屋にレゴランドがオープン

世界で8つ目、アジアで3つ目のレゴランドがオープンします。強い人気を誇るこのブロックは、デンマーク生まれのおもちゃです。デンマーク初のレゴランドは1968年にビルンで開園しました。 画像提供:レゴランドジャパン